最初の留学

 Minnesota州RochesterにあるMayo Clinicにレジデントとして臨床留学したのが1997年、結婚したばかりで家内と2人きりのアメリカ生活でした。アメリカでは知らない人がいない非常に有名な病院ですが、日本ではMayo Clinicといっても医師以外には馴染みはありません。私の両親なんかクリニックとあるために、近所の開業医のような病院と思っていたらしく、何もわざわざアメリカのクリニックにまで行くことないなんて言っていました。私が名誉あることなんだと説明しても、「名誉クリニックかい?」なんてなものでお話にもなりませんでした。
 さてさて私たには新婚旅行というものがありませんでした。理由は留学前でしたので、経済的に新婚旅行をする余裕がありませんでした。そこで私は勝手にこの留学が新婚旅行の代用と考えていました。レジデントの一日は朝早くから夜遅くまでで、特に英語が母国語でない私は他のレジデントよりも何かと時間を要し、朝5時から丸一日働いて帰宅する頃には日付が替わっていました。ストレスと寝不足は体に応えましたが、少し慣れてくると手抜きを覚えるもので、手術日でない落ち着いた日には当直室で仮眠したり、病院を抜け出して家内と買い物や食事をしたりできるようになりました。あの頃は携帯電話やインターネットが出始めた頃で広く普及しておらず、呼び出しは全てPager(ポケベル)です。あの「ピピーッ、ピピーッ」というけたたましい音が鳴るとビクッとしたもので、急いで公衆電話を見つけたものです。毎日毎日忙しくて、とても新婚旅行なんて気分ではありませんでした。Pagerのあの音は本当に心臓に悪いです。どんなに熟睡していても飛び起きてしまいます。一方家内は毎日一人ぼっちで、あちこち探検していました。家内にとっては新婚旅行ではなかったようで、何かの折には小言を言われます。中西部の広大な敷地に建つセントメリー病院が私の仕事場です。とにかく広いです。あちこちの病室に患者さんがいますから、回診だけでも相当歩きます。一日の運動量は相当なものでした。
 忘れもしないことがあります。勤務して間もない頃に頭部外傷の手術がありました。チーフレジデントが手術して受け持ちは私です。患者さんにはフロリダで耳鼻咽喉科をしている息子さんがおり、脳神経外科のスタッフからはどんなことがあっても特に適切に対応するようにとの命令を受けました。23時過ぎに一通りのことが終わり、緊張と疲労でくたくたになって大雨の中を1時過ぎに帰宅、シャワーを浴びる気力もなく床に敷いた布団に倒れこんだ瞬間に例のけたたましいPagerの音です。まだ自宅の電話が開通していなかった頃でした。平均睡眠時間が連日2時間位でしたので、殺す気かー!と思いながら近くの24時間営業のTargetというショッピングセンターに車を飛ばしました。外は物凄い大雨で、ワイパーも利きません。Pagerに表示された呼び出し元に電話をかけると、何とその患者に瞳孔不同があるとのこと。それは大変、すぐに参上すると言って電話を切ったまでは良かったのですが、何と今度は車のエンジンがかかりません。原因は、あわてていたためドライブにしたままエンジンを切ってしまったからでした。でもパーキングに戻してもどうしてもエンジンが始動しません。車は中古で買った日本名スバルレオーネです。何度も何度もキーをまわしても全く反応しません。子供の頃、茨城の私の実家にはスバルの軽ワゴン車がありました。それも20万キロ以上走った化石のようにかなりの古いやつで、冬になるとエンジンがかからず、家族総出で100メートル近く車を押すのが毎朝登校前の仕事でした。そうです、同じスバルではありませんか。押せばエンジンはかかるはずと直感(?)して、車を押しながらキーを回して大雨の中ズブヌレになりながら誰もいない真夜中のショッピングセンターの駐車場をグルグル回りました。ハッキリいってバカみたいでしたが、必死の思いで何周も回りました。それでもだめです。冷静になって考えると、オートマですからそんなことをしてもエンジンはかかるはずがありません。バカでした。本当にバッカみたいでした。もう少しいい車にしておけばよかったかななど後悔しましたが、お金に余裕がなかったので仕方ありません。そんなことをしている間にもpagerが鳴ります。開き直って(というより半ばやけっぱちになって)車を駐車場に置いて走って行くことにしました。走ることには多少の自信がありましたので、病院まで何とかなるだろうと思ったのが誤りでした。タクシーを呼べばよかったのです。しかも後に分かったのですが、タクシー代はその場で病院が払ってくれるので、一文無しでも乗れるのです(オリエンテーションの時にもらった手帳にしっかりと書いてありました)。でも走り出してしまったものは止められません。本人が止まりたくても患者さん・スタッフ・日本の上司のことがテロップのように脳裏に出てきます。絶対に止まる訳には行きません。Pager呼び出しを無視したら。待っているのは「クビ」だからです。ショッピングセンターから病院まで約4マイルちょっと(7km位)と分かったのは後日です。日本の高速道路とは違いますが、ハイウエイと呼ばれる交通量の多い道路を車がはね飛ばす猛烈な水しぶき(バケツで思いっきり水をかけられるみたいです。しかも泥水。)を浴びながら、目も開けていられないほどのそして体に当たる雨滴が非常に痛いほどの大雨に打たれながら走り続けました。日本のように流しのタクシーはいません。その間にもPagerはけたたましく鳴り続けています。まさにホームストレートで鞭を入れられる競走馬の心境です。いったいアメリカに何をしに来たのでしょうか?気付かないうちに眼鏡もなくなって、全身ズブヌレになって病院に着いたのが3時過ぎでしたが、病室に着くと家族も看護師さんも談笑しています。川でおぼれかけたような格好の私を見て「何やってんの?」って顔をしているではありませんか・・・。えっ??瞳孔不同で危ないんじゃなかったの??
 実は私の英語のskillが悪かったのと、患者のほかの状態(例えば意識状態や麻痺、血圧・脈拍)を聞かなかったことが悪かったのです。瞳孔不同=Anisocoria、アニソコリアと読みますが、英語だと「コ」にアクセントがあります。あにそコーりあと聞こえます。実はこの患者さん非常に経過がよく、アイスクリームが食べたいと言ってたそうで、看護師がice creamを食べてもいいかどうか私に聞いたのです。言い訳になってしまいますが、連日の寝不足頭でice creamの「ク」をanisocoriaの「コ」と聞き間違えた私は、「とにかくemergentだから私が到着するまで当直の先生に対応してもらって下さい」と言って一人であわてフタメイテイタとってもおバカさんだったのです。でも英語って「ク」と「コ」って同じように聞こえるんですよね。その後当直のReki先生が「大丈夫だから来なくてもいいよ」という旨を私に知らせるべく何度もPagerを鳴らしたそうです。それを競走馬の鞭のように感じた私はいったい何だったのでしょうか。でもこの事件以来(私だけが今でも事件と思っている)外国人でお客さんというような視線は感じなくなりました。でも大雨の中真夜中のハイウエイマラソンは命がけでした。今後も良い思い出にはなりそうもありません。
  さて、私の初めての海外旅行がこのMayo Clinicへの臨床留学でした。スーツにネクタイというエコノミークラスでは浮きまくった格好に始まって、最悪のアパート事件、深夜の命がけハイウエイ土砂降りマラソン、塩化ナトリウム静注しちゃった!でも僕じゃないよ事件、何なんだこの開頭は!でもやっぱり僕じゃないよ事件、動脈切っちゃったのも僕じゃないよ事件、腰椎穿刺リドカインって何?事件、カフェテリアで人の物まで食うな事件、12ドルの焼き肉のたれ3年前に賞味期限切れ事件などなど良くも悪しくも色々なことがありすぎましたが、これらのことが2回目の留学に役立ったことは言うまでもありません。


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