UW最後の日

 私の仕事(勉強)、長女の学校と経管栄養ケアに付き添う家内、選択の余地なく入れられたKinderに通う次女と家族それぞれが一生懸命アメリカで生きていました。
 日本でも色々な病院で勉強させていただき、その都度別れがありました。私は滅多に涙を流す人間ではないのですが、病院を離れる時に2度涙が止まらなかったことがあります。一度は寺岡記念病院を離任する時でした。2年6ヶ月お世話になり、院長先生やスタッフがみんなで福塩線の戸手駅から見送って下さった時には感極まりました。そして二度目はUW最後の日です。初めてUWを訪ねた日もDBSでしたが、UW最終日もやはり両側視床下核に対するDBSの手術でした。十分に馴染んだMovement Disorderチームのみんなと一緒に手術するのがこれが最後と思うと、大変複雑な心境でした。いつもはMontgomery先生やCharlie達と議論しながら、時には冗談を飛ばしながらの手術ですが、彼らも朝から必要なこと以外何も喋りません。手術も非常に順調に進行して午後2時には全て終了です。終わっちゃったなあというのが実感で、ORのスタッフやレジデント、そしてCharlieとMontgomery先生、最後の手術をさせて頂いた患者さんに留学のお礼を言いました。お礼の言葉は何度も辞書を引いて調べてきましたから、自分なりに完璧(だったと思いますが・・)です。でもみんな「Thank you, too, Nori. See you later!」っていう感じで、三々五々ORから出ていってしまい実にあっさりでした。朝からずっと寂しい気持ちでしたのでかえって良かったと思っていましたが、最後にびっくりが待っていました。アメリカにはSurprise Partyというのがあります。誕生日を迎えるなどの主役に内緒でPartyを企画してびっくりさせるものです。そうです。私のようなただの日本人医師にもSurprise Farewell Partyを企画してくれていました。今までありがとう、日本に帰ってもDBSを頑張るように、アメリカに来る機会があれば必ずMadison・UWに寄るように、私たちを忘れないようにと沢山の言葉を頂きました。Charlieからは立派な額に入った私が好きな夏のMadisonの写真を、Montgomery先生には彼の著書に直筆でサインを入れたものを頂きました。Madisonのことを思い出すと、今でも「I miss you, Nori.」というみんなの声が聞こえてきます。Madison, UWの皆様には感謝です。



Charlie夫妻と


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