障害児と雑感

 障害者の介護は肉体的にも精神的にも筆舌に尽くしがたく、経験した人にしかわかりません。私自身も脳神経外科を標榜する以上、身体的・精神的に障害が後遺してしまった患者さんを避けて通ることはできませんでしたが、長女の重度障害のためにそれまで以上に後遺障害のことを気にするようになりました。手術を受ける、または私が手術をさせていただく患者さんは一人づつですが、それぞれ一人だけではありません。家族・親族をはじめ、友人、職場など多数の人々とのつながりがあります。従ってその患者さん一人の後遺障害ではなく、多数の人にとっての、場合によっては社会にとっての後遺障害となってしまいます。例えばある手術や処置の後に後遺障害が残ったとして、医療側の当事者は時間とともにその事実を忘れてしまいがちです。しかし残された患者・家族、周りの人たちは一生それを背負って、相当の精神・肉体的負担に長期間耐えて行かなくてはなりません。手術や処置は医学的にどうしても必要なものです。経験が多数あればそれだけ問題になる場合にも遭遇するはずです。医療行為を行う人は、患者だけでなく周りの人の人生も左右してしまう重要な任務に就いている事を肝に銘じて向き合うべきだと思いますが、実際に医療現場で働いていますとやはり上辺だけで終わってしまうことが多いのが現状の様な気がします。僭越で変な言い方かも知れませんが、私のように医療行為で障害を持ってしまった家族でもいない限り、医療行為をするに当たって患者や家族の痛みを知るなど所詮机上の空論です(勿論それを意識するということは非常に重要です)。一般的に言って医療事故を起こしてしまった当事者は、時間とともに事故を忘れてしまいがちです。しかしずっと反省の心を持ち続けない限り、また同じ過ちを繰り返すことになります。実際に何人かのそういったリピーター医師を見たことがあります。
 後遺障害の痛みや苦しみは被害者にしかわかりません。街を歩けば偏見の目、エレベター内では邪魔者扱い、車に身体障害者マークがあるだけで割り込みや無理な追い越しがあったり、飛行機や新幹線など公共の乗物に乗ることも諸手続きが必要で予想以上に時間がかかるし、ちょっと買い物に出かける程度のことでさえ本当に大変な思いをします。
 私はたまたま医療従事者ですので、娘が熱をだして体調が悪いときなど自宅で点滴をしたりすることができます。しかし一方で、勤務先で緊急手術や容態の悪い患者さんがいればどうしてもそちらを優先せざるを得ず、しんどい思いをしている娘を家内に頼んで出かけなくてはなりません。家族の支えがあっての医療従事と思っているのですが、最優先に考えなくてはならない家族のことを必ずしも最優先にできないことが多々あって、本末転倒かなって思うことがよくあります。ひとえに代わってくれる人材がいないという勤務医人手不足と、勤務医が行う医療行為以外の雑務が非常に多いこと以外の何物でもありません。大病院の勤務医ははっきり言ってボランティアです。


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