Interview

 このような状況の下では留学など現実的ではなく、日本での生活パターンを確立してしまった方が家族としては楽でした。しかし良いお話を頂いている以上、こちらの態度を早急にはっきりさせなければなりません。そこで受け入れ先のWisconsin大学脳神経外科に電子メールを送り、是非とも留学したいが家族に大きな問題がある旨を正直に伝えました。そして私事で留学には全く関係ないことだが、親としては重度障害を持った娘にもアメリカに住むという、誰にもできることではない大変貴重な経験をさせてあげたい気持ちもあることも付け加えておきました。するとすぐに一度interviewに来て下さいとの返事を頂きました。Wisconsin州Madisonは英語を習い始めた中学1年生の時の教科書、New Prince English Courseで舞台になっていたところで(BenとLucyがでてきます)、地図で調べたりして馴染みがありました。またMayo Clinicにいた時に全米で最も住みたい街No.1の記事を読んでいましたので(ちなみにMayo ClinicのあるMinnesota州Rochesterが第2位でした)、治安という点での不安はほとんどありませんでした。
 さて久しぶりのアメリカ本土です。9.11テロから時間が経っているとはいえ、入国審査、乗り換え客の通るsecurity gateは銃を持った警官が何人もいて、最初の留学の時とは違ったピリピリした雰囲気でした。それこそ彼らと目が合ったら射殺されそうな異様な雰囲気です。それはさておきMayoの時に何度も利用したミネアポリス/セントポール空港に降り立った時のアメリカの匂いが非常に懐かしく、家族の不安はあるものの何としてでも留学の機会を逃すまいと、不安で揺れていた心が固まりました。乗り換えて1時間ほどでMadisonです。誰も知人のいないMadisonです。勿論BenとLucyもいるはずがありません。メールのやり取りだけでまだ会ったこともないCharles Garell先生に会えるかどうか不安でしたが、目が合った瞬間にお互いこの人だと思ったようです。私も今度こそは思いっきり目が合っても絶対に射殺されない自信がありました。これが彼との最初の出会いで、以降家族ぐるみでのお付き合いをさせてもらっています。彼が大学病院前のホテルを予約しておいてくれましたので、チェックインの後スタバでコーヒーを飲みながら、お互い改めて今までの経歴などを含めた自己紹介をしました。ちなみに当たり前ですが、アメリカのスタバラッテも日本のやつと同じ味です。でもしっかりと「砂糖なしで」といわないと、たっぷり砂糖の入ったやつが出てきます。彼にもお嬢さんが2人いて、私の娘たちと同い年、奥さんのBethさんは家内と同い年、話をしているうちに彼とはなぜか馬が合いました。彼もそう感じたらしく、すぐにCharlie、Noriと呼び合うようになりました。話は本題に入り、深部脳刺激手術、迷走神経刺激などてんかんの手術、バクロフェン髄注の手術など機能的脳神経外科の手術症例が非常に多いこと、レジデント以上の経験があって手術の術者としての技能が必要なこと、外来業務もあること、チーフレジデントの上のClinical instructorというpositionで一応facultyになること、更にCleveland ClinicからMovement Disorders Societyの重鎮であるMontgomery先生(後に私の恩師になる方です)が神経内科に赴任される予定で、深部脳刺激手術の症例が増えることを聞かされました。Rotationのあるレジデントよりも機能的脳神経外科に集中して協力してくれる人材がどうしても必要であり、是非とも一緒に仕事ができればとの言葉を頂きました。ということは、我が家の問題が解決すれば留学決定です。
 重度の障害児であり医療ケア・リハビリが必要であること、flexibleに動いてくれる小児科医がいるかどうか、養護学校のこと、極寒のアメリカ中西部(Mayoで経験済で、半端な寒さじゃありません)で体調を崩した場合は診療業務を休まなくてはならないかもしれないし、最悪の場合は帰国せざるを得ないこと、などなどあらかじめ用意しておいた問題点を全て話しました。
 Charlieの答えは実にあっさりしていて、家族の体調が悪いなど家族の問題は常に何事より最優先であること、必要があって診療業務を休むことや帰国など何も気にすることはないこと、病院に勤務する訳だから医療行為など必要と思えば病院を自由に使っていいし、沢山いる小児科医の友人を紹介してやる(翌日早速紹介してくれました)、学校に関してはMadisonの教育水準をなめてもらっちゃ困る。全米一とも言える高い水準の教育学部がWisconsin大学にはあるので、障害を持ったお子さんでも何の問題もない。新たに問題が出たら協力を惜しまないし、妻も協力すると言っていた、 などなど。社交辞令ではあり得ないような内容でした。とにかく帰国後すぐに家内と話し合って最終的に返事をするが、今回直接会って話ができて得るものが非常に多かったので、まず間違いなく一緒に機能的脳神経外科をやるようになると思うと返事をしました。
 翌日は私のためにわざわざ深部脳刺激手術を予定しておいてくれました。レジデントのRohan君、Brian君、手術室看護師のJenniferさん、Merissaさん、そして何と患者さんのHarperさんまでみんなで私を歓迎してくれました。手術はパーキンソン病の視床下核刺激術で、手術に参加させて頂き意見を交換しながらあっという間に終了しました。この日が私の記念すべき最初の深部脳刺激手術となりました。2003年2月10日のことです。
その夜は翌日帰国する私のために、Charlieが深部脳刺激手術チームのみんなとdinnerをご馳走してくれました。チームの仲間の逸話、日本の脳神経外科のこと、日本車のことなど夜遅くまで盛り上がりました。沢山飲んでしまったMiller lightの味とレストランから見える大雪の降るMadisonのdowntownの幻想的なオレンジ色のネオンが今でも脳裏に焼きついています。翌朝出発の時空港までのタクシーで見た、朝日に輝くまっ白い雪で覆われた中西部の大平原を見て、何としてでもこの雄大な景色を家族に見せてあげたい気持ちが強くなりました。
 帰国後家内にMadisonでのことを話したところ快諾してくれましたが、内心は大きな不安があったと思います。余談ですが、真冬の2泊4日のアメリカ本土往復です。無理なスケジュールがたたり、帰国後すぐに尿路結石・腎盂炎を患い40℃を越える高熱に3日間も悩まされました。こんなことは今までに経験したことがなく、猛烈なだるさで立っているのがやっとの状態でした。帰国後すぐに予定していた手術を患者さんに謝罪してキャンセルするはずでしたが、困ったことに諸事情からやらざるを得なくなり、更にその翌日には緊急手術があって倒れる寸前でした。普通は2-3時間で終了する手術が、6時間もかかりました。結果が問題なく事なきを得ましたが、気合だけでは手術ははかどりません。手術をする人間はいかに日ごろの体調管理が重要かを思い知らされました。


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